▼「cartoonの世界」記事一覧▼
②アメリカン・アニメーション黄金時代と日本ゲーム全盛期の類似性
③かつてディズニーと比肩した悲劇のアニメーター、マックス・フライシャー
④ディズニーを駆逐し“カートゥーン”の本家となったワーナーとMGM
前回はざっくりアメリカのcartoonについて紹介しましたが、今回はその歴史について少し説明します。
1910年代に現在のアニメーションに通じる作品が生まれてからおよそ30年の間にアニメーションは「サイレント → トーキー → カラー」の3段階の発展を遂げました。サイレントはいわゆる無声映画、トーキーは白黒映画、カラーはそのままカラー映画です。
当時はテレビがない時代なので、アニメーションといえば映画の本編直前に上映される5~10分ほどの短編作品で、ほとんどはコミカルな動きをするキャラクターたちを描いたcartoonでした。
今風に言えば新たな”メディアコンテンツ”として注目を集めたアニメーションは多くの絵心ある若者が参入した結果、「ミッキーマウス」や「ドナルドダック」「バッグス・バニー」、「ダフィー・ダック」、「トゥイーティー」、「ポパイ」、「ベティ・ブープ」、「ウッディー・ウッドペッカー」、「トムとジェリー」など、次々と現在まで知られる有名キャラクターたちが誕生し、1920年代から1950代ぐらいにかけてアメリカン・アニメーションは黄金時代をむかえます。
日本で言えば「パックマン」や「スーパーマリオ」、「ドラゴンクエスト」などが誕生した80年代のテレビゲーム全盛期のようなものです。
そして、最初期のサイレント時代の後、トーキー時代(20年~30年代前半)からカラー時代(30年代後半以降)で覇権を握ったのがミッキーマウスを擁するウォルト・ディズニーでした。当時のディズニー社には多くの有望なアニメーターやスタッフが集まり、後に独立・移籍するなど、ディズニー作品以外のアニメーションも支えていきました。
一方、ベティ・ブープやポパイを生み出し、当時唯一ディズニーに対抗できるアニメーターも存在しました。
マックス・フライシャーです。
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