コロナ騒動前、平成男子にとって思い出深い作品に区切りがついた。
そう、『デジモンアドベンチャー』である。
自分もかつてデジモンに熱中した世代として映画館に足を運んだ。
そして、20周年記念作品で、事実上の最終章となった『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』は上映直後から話題となり、ネットでも様々な記事が書かれた。
だがしかし、公開後の記事のほとんどがこの映画の核心、というか多くのファンが感じている不満点に触れていない。
多くのファンにとって“思い出深い”作品だから、優しく見届けたいという気持ちや制作側への配慮があったのだろう。
だが、自分はこの場でハッキリ言おう。
「LASTを含め、tri以降のデジモンは失敗だった!」
もっと正直に言おう。
「そもそもリメイクするべきでなかった!!」
というわけで、なぜ自分がそう断言するのか簡単に説明したい。
数年前triシリーズの制作が発表され、15年ぶりにデジモンアドベンチャーに新展開が始まると知ったときは驚喜した。
ポケモンと同時期にメディアミックスが始まり、自分を含む90年代平成男子にとっては思い出の塊の存在であったデジモンアドベンチャーとデジモンアドベンチャー02の続編と聞いては期待せずにはいられなかった。
そして、待ちに待ったtriシリーズ第1章は懐かしさや期待感に満ちた自分たちを多いに楽しませるものだった。
しかし、章を重ねるごとに映画に対する違和感・不安が頭をよぎるようになった。
大輔たちの出番は?
なにこのゲンナイさんのゲスキャラっぷり?
デジタルワールドが襲いかかるってどういうこと?
結局こうした違和感・不安がろくに解消されないまま最終章に至り、シリーズはひどい結末を迎える。
triシリーズのキーキャラクターは救えず、その元凶の一人だった人物はいつの間にか行方不明、太一たちの恩人は死に、大輔たちはシルエット姿でセリフもなく黒塗りで現れて退場。
冷静に振り返るとひどい展開の連続だった。
だが物語はこのtriシリーズから、さらに延長される形でLAST EVOLUTIONが制作・公開された。
その内容をざっくりまとめると、
・02のラストをほぼ無視。
・triとの関連もほぼない。
・全六章だったtriよりはるかにボリュームが少ない。
・なのに新たな設定、キャラを物語の肝にすえる。
・大輔たちは登場するもほぼモブ扱い。
・こうした不満点があるのに完結編。
こうしてtriの失策を何ひとつ挽回しないまま、多くの汚点を残す形で初代デジモンアドベンチャーシリーズの幕が閉じたのである。
そして、不満だらけの古参ファンにとどめを刺す形で、現在放送中のデジモンアドベンチャー・リメイク版が発表された。
そのタイミングや流れは、まるでリメイク版のためにLASTが制作され、前作の物語を終わらすことが目的だったかのように……。
このリメイクの話を目にしたときは憤怒した。
もしこのリメイクがtriやLASTが作られることなく始まっていれば暖かい目で見守ったことだろう。
triの時点で15年の時間が経過しているのだから前作は前作、リメイクはリメイクとして別物として見れたと思う。
しかし、現実はtriとLASTで余計な物語・設定が付加された挙げ句終了となり、それをなかったことにするように即リメイクを作り始めるという暴挙。
スタッフに一貫性がなかったのが要因とされるが、結局デジモンアドベンチャーに対するリスペクトがなかったのが一番の原因なのだろう。
誰やどこがこの最近のデジモンの流れを決めていたが不明だが、「よくもやりやがったな!」とマジで怒鳴り込みたい。
なんでここまで書くのか?
多分、自分にとってデジモンアドベンチャーは本当に思い出深かったのだろう。好きだったからこそ、あまりのシリーズの後味の悪さに失望したのだと思う。
この気持ちに少しでも共感頂けたら、なんとなく気持ちが少しは晴れる気がします。